1月31日閉店した函館の棒二森屋。
もう、この中を見ることはできなくなってしまいました。
(訪問:1/26)
百貨店としての最期を迎えた棒二森屋。
行った時は最後の週末を迎えていた棒二森屋。
最後にもう1度訪れようと多くの市民が来店し、かつての賑わいが帰ってきたようでした。
今回は主に建物の中のお話となります。
今回は前回を越える大増量版でお届けします。
続きを読むからどうぞ。
店内に入るとすぐに、クマの彫刻があります。
函館出身の彫刻家、根本土龍氏の作品。
三越のライオン像的なオブジェクトです。
(北階段)
百貨店らしい螺旋階段。
エスカレーターにも、こうした感謝の気持ちが。
すずらん階段
1937年の開館から2019年の閉館まで変わりなかった、床が木の古い階段。
階段に棒二のイメージフラワー、すずらんを描いたタイルを所々に嵌めこんでありました。
六花:とてもレトロね~。 細部までこだわっているのが素敵。
本館の屋上には商売繁盛を願った互福稲荷神社が建てられていて、月1日だけ買い物客にも開放されていました。
デパートの思い出というと、こうした大食堂のシーンを思い浮かべる人は少なくないでしょう。
この日、行列が絶えることはありませんでした。
食堂で展示されていた「さよなら、棒二森屋」展
棒二森屋・和光デパート・さいかデパートと揃い華やかだった70年代の函館駅前。
80年代に入ると、郊外(美原)にイトーヨーカドー・長崎屋。五稜郭(本町)にはダイエー・西武の函館進出もありました。
郊外もまたイトーヨーカドーと長崎屋(現・MEGAドンキホーテ)が隣接している上、開店時期も1週間しか変わらない。
本町も丸井今井の向かいにダイエーが開店。 テーオーデパートの向かいに西武が開店するというはこだて商業戦争。
本館とアネックスとの連絡通路では、
棒二森屋の思い出を集めたメッセージボード。
制服の変遷。
店頭で使われていたもの。
昔の店内の写真。
昔の広告。
昔の函館の写真。
花魁道中なんて、今では見れないですよねえ。
棒二森屋150年の歴史を集めて、詰め込みました。
デパートのおもちゃ売り場には夢がありました。
棒二荻野と合併する前、金森森屋の時代の展示。
この建物は現在、場所そのままに市立函館博物館郷土資料館としてしっかり復元されています。
現在の本館が開店した時の広告。
開店を伝える当時の新聞記事。
六花:ボーニ「さん」と言われるだけに、永く市民に愛されていたのね。
アネックスの開業を伝える新聞の全面広告(右)
80年代初頭のイトーヨーカドーや長崎屋・西武の函館進出はもちろん棒二森屋も分かっていたのでそれに対抗するために建てた新館。
若者向けをテーマに、いわゆるDCブランドやDONQを入店させました。
DONQのミニクロワッサンは最後まで函館市民に愛されていました。
棒二森屋が1937年に本館を開業してから、
1971:三越と業務提携
1981:三越からダイエーに業務提携を切り替える
(三越とアネックスを巡っての方針が合わなかった為)
1994:ダイエー系のアドバンスド・デパートメントストアズ・オブ・ジャパン(ADS)に営業譲渡
2005:ADSとダイエー系の中合(福島県)との合併により、中合が棒二森屋を経営
2015:イオンがダイエーを完全子会社化(経営は引き続き中合)
2019:閉店
時代と共にこうした経緯を辿りました。
中合は現在、福島駅前の本店と、青森県八戸市の三春屋を経営しています。
六花:ここからだと、函館駅が船の形をしているのが分かりますね。
アネックスのエレベーターは、函館駅を一望できる場所でした。
六花:ここからの景色も見られなくなるのかな。
アネックス館は、耐震基準を満たしているのであと3年程度テナントビル「函館駅前ビル」として運営する予定になっています。
こちらは中合や棒二森屋と関連はありません。
地下と7階は閉鎖しますが、あと3年程度はここからの函館駅を望むことができます。
その後は再開発に伴い取り壊されます。
元・棒二森屋の従業員の小池田氏が執筆した「棒二森屋物語」
棒二森屋150年の歴史、昔の貴重な写真などが載っている棒二森屋の社史の様な本です。 そして読みやすいです。
函館市内の書店の他に、Amazonでも購入できます。
函館を代表するソウルフード、ハセガワストアのやきとり弁当。
函館駅から一番近い店舗が棒二森屋にあったのですが、閉店してしまいました。
駅から離れた店舗が多いのでこれは辛いです。
函館のソウルフード「ラッキーピエロ」
こちらは本館の角にあるのですが、移転先が見つかるまで(10月位まで)は現在の場所で営業を続けます。
六花:ちょうど市電がすれ違いますよ。
棒二森屋と市電。
函館駅を出たら大体の人がまず最初に見る風景でした。
六花:いらっしゃいませ 明るい売場 ロマンとセンスの棒二森屋♪
今回も、前回に引き続き棒二森屋のお話でした。
自分が思っていたよりも随分と長くなってしまいました。
函館空港の売店には「棒二森屋」の屋号が残っていますので、懐かしくなったら空港へ。
この記事の最後にこの曲をお届けします。
棒二森屋の立地するエリアで流されている街頭放送、通称「ボーニソング」
営業最終日は開店前から閉店までこの曲「だけ」をエンドレスで1日流し続けました。
1:いらっしゃいませ 明るい売場
ロマンとセンスの 棒二森屋
ほらごらん
ここから届ける 夢いっぱい
ララ 夢いっぱい
あなたの棒二森屋デパート
わたしの棒二森屋デパート
2:いらっしゃいませ 微笑む瞳
あふれるムードの 棒二森屋
ほらごらん
ここから花咲く 夢いっぱい
ララ 夢いっぱい
あなたの棒二森屋デパート
わたしの棒二森屋デパート
3:いらっしゃいませ ときめく心
素敵な品々 棒二森屋
ほらごらん
ここから膨らむ 夢いっぱい
ララ 夢いっぱい
あなたの棒二森屋デパート
わたしの棒二森屋デパート
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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コメント
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こんばんは。
大型デパートも個人商店も苦難の時代ですね。
ネット通販でほとんどのお買い物が済んでしまう時代ですが、街中が淋しくなって人の「社会」が希薄化して。。。
今後の犯罪形態も予測のつかない方向に変化し続けるのでしょうか?!
人と人のコミュニケーションがおぼつかなくなり、ますます孤独な人が増えるのかとその辺りも気掛かりですね。
前回とほぼ同じ感想になってしまいますけど(汗)
これだけ長期間地域の皆様に愛された函館の棒二森屋さんの閉店というものは残念の一言だけでは割り切れない無念さみたいなものも感じられます。
地方の百貨店の苦戦や撤退と言うものは地域の努力だけでは解決できない日本全体の根幹的な問題・・例えば地方と首都圏の格差とか地方の基幹産業の衰退と人口減少といったむしろ中央政府が取り組まないといけない事をつけ回した結果ともいえそうな感じでもありそうです。
展示品や新聞記事を拝見しただけでもいかに地域の皆様から愛され支持されていたかがよく伝わってきていると思いますし、
特に制服の変遷は大変興味深く拝見をさせて頂きました。
六花さんもこころなしか寂しそうな雰囲気が漂っているようにも
感じたものでした。
> こんばんは。
yokoblueplanet様、コメントありがとうございます。
> 大型デパートも個人商店も苦難の時代ですね。
> ネット通販でほとんどのお買い物が済んでしまう時代ですが、街中が淋しくなって人の「社会」が希薄化して。。。
> 今後の犯罪形態も予測のつかない方向に変化し続けるのでしょうか?!
> 人と人のコミュニケーションがおぼつかなくなり、ますます孤独な人が増えるのかとその辺りも気掛かりですね。
今回は函館の百貨店の閉店を取り上げました。
函館に限らず、地方の百貨店は辛い時代ですね。 建物の耐震化に多額の費用がかかることから閉店を決断するケースが結構見受けられます。
ネット通販の台頭は大きいです。
棒二森屋では年間40億円の売り上げがありましたが、その40億円分がそのまま函館の百貨店やGMSに流れるわけではありませんからねえ。
今の函館駅前はホテルだらけで、これからJR北海道系や大和ハウス系のホテルが更に建てられます。
棒二森屋のアネックス館部分も3~4年後を目途にホテルになるでしょう。
となると、ホテルしかない駅前・・・ という今の釧路や苫小牧駅前と同じ様な「駅前ゴーストタウン」にならないかが心配です。
ぬくぬく先生様、コメントありがとうございます。
> 前回とほぼ同じ感想になってしまいますけど(汗)
> これだけ長期間地域の皆様に愛された函館の棒二森屋さんの閉店というものは残念の一言だけでは割り切れない無念さみたいなものも感じられます。
売上も落ちていましたし、耐震化に多額の費用がかかることから昨年閉店を決断しました。
普段からこれくらい人がいれば・・・ というのは鉄道の廃線時と同じ感覚でしょうか。
> 地方の百貨店の苦戦や撤退と言うものは地域の努力だけでは解決できない日本全体の根幹的な問題・・例えば地方と首都圏の格差とか地方の基幹産業の衰退と人口減少といったむしろ中央政府が取り組まないといけない事をつけ回した結果ともいえそうな感じでもありそうです。
函館の戦後、北洋漁業で華やかだった時代。旦那は長靴スタイルで腹巻に金を入れてキャバレーに行き、家族は百貨店等で買い物や食事をしていました。
そんな時代も200海里問題が浮上し、昭和と共に終焉。
函館は、北洋漁業と水産加工で栄えた街。 その後はイカ釣り漁で繋いで来ましたが近年はめっきり獲れません。
> 展示品や新聞記事を拝見しただけでもいかに地域の皆様から愛され支持されていたかがよく伝わってきていると思いますし、
> 特に制服の変遷は大変興味深く拝見をさせて頂きました。
函館は火事の多い街で、箱館戦争の頃から何度も大火に見舞われ焼け野原になっていました。
棒二荻野と金森森屋が合併したのは、荻野が昭和6年に建てた4階建ての店舗が昭和9年の函館大火で全焼。
森屋は建物の被害は免れましたが商圏が焼け野原になったことは変わりなかったですが、大火後すぐにバラックの店舗を用意し営業を再開。 連日商品不足になるほどの盛況ぶり。 このことは当時の市民にとても好意的に受け入れられました。
この大火を機に、街の中心部が棒二荻野と金森森屋の商圏であった十字街から次第に函館駅前に移っていました。
昭和11年に2つが合併して棒二森屋に。函館大火からの復興という過程の中、戦後の復興の中で函館No.1デパートとして市民に親しまれた時代がありました。
> 六花さんもこころなしか寂しそうな雰囲気が漂っているようにも
> 感じたものでした。
自分の寂しい思いが出ていたのでしょうかね。
何事も「最後」となると悲しくなってしまいます。