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冬音

Author:冬音
北海道でドール撮影をしています。
北海道内のダムカード・マンホールカード等も収集中。
北海道は季節感が本州と多少異なりますが、それも個性ということで。

北海道地図があると、より楽しめるかと思います。

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歩み・歩む (天北線・小頓別駅)

Category : 北海道の鉄道
小頓別駅01
中頓別町にある「北海道道400号 小頓別(しょうとんべつ)停車場線」
ここが今回の舞台です。

小頓別駅02
杏:停車場線ということは駅前通り・・・ ということよね。

小頓別停車場線は、北海道で2番目に短い道道です。
では進んでいきましょう。

追記に続きます。
続きをよむからどうぞ。
小頓別駅03
国道275号との交点(=終点側)にある「あゆみ橋」
この橋の4枚の画を見れば、小頓別地区の歩みが分かります。

この画は、頓別川の砂金採りの様子。
砂金を目当てに、この地に入植した開拓者たち。



小頓別駅06
1914年、鉄道院宗谷線(後の国鉄天北線)の開通。
それから15年後の1929年には、歌登町営軌道も開通。
小頓別は、2路線の拠点に。




小頓別駅04
豊富な林業資源があり、木工所も数多くあった小頓別。
鉄道と林業のまちとして栄えていました。



小頓別駅05
しかし林業が衰退し、天北線も1989年に廃線。
現在は酪農が地域の主幹産業となっておりますが、過疎化が著しく進んでいます。




小頓別駅07
このロータリーの場所に、かつて小頓別駅が建っていました。



小頓別駅08

小頓別駅09
在りし日の小頓別駅。
(中頓別町のバスターミナルにて)
小頓別の由来は、アイヌ語「ト・ウン・ペッ」(=沼に行く川)
天北線の沿線は、頓別川に沿って行くので、(上流)小頓別→上頓別→中頓別→下頓別→浜頓別(下流)と分かりやすい「頓別」の流れがありました。

下頓別駅07
以前紹介した下頓別駅跡





小頓別駅11
天北線の廃線代替バスの待合室。


小頓別駅13
待合室の中。


小頓別駅12
小頓別駅で使用されていたものが、取り付けられています。
おそらく、現役時代駅舎ホーム側、改札口の上にあったものでしょう。

小頓別駅14
杏:地域の歴史が分かるよう作られたのね。




小頓別駅16
国登録有形文化財・旧丹波屋旅館
右半分が和館(1914年開業)、左が洋館(1927年頃開業)。 
閉業は1989年。 

つまり、「小頓別駅開駅と共に開業し、廃駅と共に閉業した・・・」 という駅前旅館。
小頓別地区が林業で栄えていたということを伝える、地区のシンボルでありとても価値のある建物です。

小頓別駅17
小頓別地区が林業で栄えていた頃、旅館は木材を買い付けに来た材木商たちで賑わっていました。

築100年が経過し、今はここに住む個人の負担でなんとか形を維持している状態で、地元の保存会も立ち上がってなんとか建物を残そうとしています。
建物の中に関しては、2013年9月号の中頓別町広報誌に載っています。
国指定重要文化財になっても、維持費は国ではなく所有者の負担。 文化財保護法により勝手に修理・解体することもできない。


小頓別駅18
杏:なかなか考えさせられる問題ですね。



小頓別駅10
今回は、小頓別駅跡と、小頓別停車場線のお話でした。
これが起点側から見た小頓別停車場線の全景。
道路の左右のひび割れ・白線の始まりから、向こうの止まれまでの全長46m。
とても短い距離ですが、そこにはいくつかの物語がありました。

これより短い道道が北海道にあるのです。
それはまた別のお話。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
 
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林業

林業というものは本来は国にとっても大事な産業であると思いますし、
最近台風や大雨で大きな被害が出ている土砂崩落・山崩れ等を
山林を適切に管理する事である程度は防止できるはずという観点で
捉えると、こうした林業の衰退というものは
北海道にとっても国にとってもそこに居住されている住民の皆様にとっても残念な話なのだと思えます。
「別に林業以外でも他にはいくらでも産業があるじゃん」という
簡単な話ではなくて、地場産業の側面と防災という側面からも
本来は林業は大切にすべき産業と言えるのかもしれないですね。

旧丹波屋旅館は立派な景観ですね~!

この素晴らしい旅館も林業の隆盛によって栄え、林業の衰退とともに
廃館となっていったのかもしれないですけど、
こうしたシンボル的な建物はなんとか今後とも残していって
ほしいものです。

杏さんもそうした事情のせいかどことなく寂しそうな雰囲気が
漂っているようにも感じたものでした。

Re: ぬくぬく先生様

ぬくぬく先生様、コメントありがとうございます。

> 林業というものは本来は国にとっても大事な産業であると思いますし、
(中略)
> 本来は林業は大切にすべき産業と言えるのかもしれないですね。
林業は、材木としてはもちろん、製紙業やマッチ棒の軸の需要があり、各社が競って北海道の内陸部まで買い付けに行っていました。道路はまだ整備されていないので、鉄道を使って。。。
原木を求めるために製紙会社が専用鉄道(日高本線のルーツ)を敷設したり、材木を運ぶための森林鉄道は北海道各地にありました。
戦後すぐ、丸太など合板以外の木材の関税を0にしたことにより輸入した方が安いというのが林業が衰退した原因だと思っています。
何事も土地柄というものがあり、林業と酪農「しか」できないというのがこの地域。
オホーツク海の冷涼な気候と泥炭土壌により農作物の作付は0です。

> 旧丹波屋旅館は立派な景観ですね~!
> この素晴らしい旅館も林業の隆盛によって栄え、林業の衰退とともに
> 廃館となっていったのかもしれないですけど、
> こうしたシンボル的な建物はなんとか今後とも残していって
> ほしいものです。
よく100年も持ってくれたと思う旧丹波屋旅館。
町もお金が無いので維持費(600万)を負担することができず、所有者らがなんとか残しているというのが現在。
かたちあるうちに、撮っておきたいですね。

> 杏さんもそうした事情のせいかどことなく寂しそうな雰囲気が
> 漂っているようにも感じたものでした。
天北線音威子府~浜頓別間は全て杏が担当しています。
道道に認定されるということは、ここは当初から主要な駅であり駅前旅館や医院も建っていた立派な通りでした。
だから今、駅跡を示すものも何もないということが寂しいのです。

小頓別の駅名標は改札口だったすか!

あるブログさんで見たんですが、旅館内の「鏝絵(こてえ)」とても立派なんです。
学生時代、泊まりたかったんですが、1泊2食5000円が出せずに、
浜頓別ユースに流れてしまったのがちょっち惜しかったです。
・・・いやユースもものすごくよかったんですけどはじめっち

歌登には小頓別コースと本幌別コースがあるっすが、鉄道引かれたところがメインルートになったっす。
歌登の学校の僻地等級も、小頓別から離れるにしたがって高くなったんで、
もし本幌別経由で鉄道さ惹かれたら、毛登別小中学校とかは2級が4級になってたかもしれないす。
・・・北海道開拓ってば政治に左右されるっすゆたかきっと森林資源と鉱石で決まったすけど…

Re: 小頓別の駅名標は改札口だったすか!

コメントありがとうございます。

> あるブログさんで見たんですが、旅館内の「鏝絵(こてえ)」とても立派なんです。
> 学生時代、泊まりたかったんですが、1泊2食5000円が出せずに、
> 浜頓別ユースに流れてしまったのがちょっち惜しかったです。
> ・・・いやユースもものすごくよかったんですけどはじめっち
小頓別が栄えていた時代を少しでも感じることができる旧丹波屋旅館。
天北線の歴史を見続けてきた場所でもありますね。
お金をかけて保存していますが建物の傷みは隠せませんね。

> 歌登には小頓別コースと本幌別コースがあるっすが、鉄道引かれたところがメインルートになったっす。
> 歌登の学校の僻地等級も、小頓別から離れるにしたがって高くなったんで、
> もし本幌別経由で鉄道さ惹かれたら、毛登別小中学校とかは2級が4級になってたかもしれないす。
> ・・・北海道開拓ってば政治に左右されるっすゆたかきっと森林資源と鉱石で決まったすけど…
天北線は、対ロシアとの戦争を見据えて少しでも稚内に向かって音威子府~中川(佐久)間の天塩川を避けて早く着工したかったでしょうから歌登は通過せずこのルートになったのでしょう。 そして曲淵の炭鉱と森林資源。
もし美幸線が北見枝幸まで全通していたらどうなっていたでしょうか。 
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