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Author:冬音
北海道でドール撮影をしています。
北海道は季節感が本州と多少異なりますが、それも個性ということで。
北海道地図があると、より楽しめるかと思います。

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札沼線と沼田喜三郎 (留萌本線・石狩沼田駅)

Category : 北海道の鉄道
石狩沼田駅02
今回は、沼田町にある留萌本線・石狩沼田駅から。

石狩沼田駅03
千咲:ちょっと暑い・・・ 
お盆を過ぎたとはいえ、まだ暑い日もあります。

石狩沼田駅04
[石狩沼田駅]
開業は明治43(1910)年。 鉄道院留萠線「沼田」駅として開業。
大正13(1924)年に上越線に沼田駅(群馬県)が開業したことにより「石狩沼田」と改称。
駅名の由来は、沼田喜三郎氏が所有する農場内にあったことから。

石狩沼田駅05
かつては、札沼(さっしょう)線の終着駅だった時代(1931~1944,1956~1972)もあった石狩沼田駅。
幌と田を結んでいたから「札沼線」というのです。
昔は新十津川駅からここまでも線路があって、小樽港へ発送する鰊や石炭の輸送に貢献してきました。
写真の2,3番線とホームは現在線路も撤去され使われていませんが、花壇や駅名標が設置されています。

石狩沼田駅06
千咲:今は札沼線という言い方も廃れたわね。

石狩沼田駅07
石狩沼田駅08
札幌に住んでいると、「学園都市線(1991~)」という表現しか聞きません。 札沼線のさの字も出てきません
駅ナンバリングもGakuentoshi-lineのGです。 こうして札沼線の名前を消していったJR北海道。
やがて路線の名前も学園都市線に変更されるのでしょうか。

 石狩沼田駅09
千咲:時の流れは、いつかこの駅も無かったことになるのでしょうか。

この町の由来になった沼田喜三郎翁。
追記では彼に関する物語と、沼田町の隠れた貴重なスポットについて書いていきます。
続きを読むからどうぞ。
[沼田喜三郎物語]

石狩沼田駅18
沼田喜三郎氏

①北海道に来るまで
沼田喜三郎は、天保5(1834)年越中国西砺波郡津沢町大字新西嶋村(現在の富山県小矢部市)で生まれました。
実家は代々農業と大工業を家業としていましたが決して裕福とは言えない暮らしでした。
そうしたことからすでに12歳の時大工の徒弟となり、14歳に豪農の家に奉公し、また16歳の時江戸で染物の技術や商売の見習いをしていた喜三郎。
自家で農業に従事したり、時には江戸や栃木・千葉で農業従事者や土方職人・染物工となったりしながら米の精白や新地開墾の要領を身につけることができました。 これが後に大いに役立ったのです。

喜三郎は再び帰郷し、農業に従事していましたが、間もなく鳩藤右衛門氏を主人とし農業および商売の見習奉公をすることとなりました。
鳩氏に仕えながら主人に認められていった喜三郎。 命がけで夜半の使いを果たしたり、金沢で酒造りをして得た巨利を全て主人に提供したり、その淡泊な気持ちには藤右衛門氏も大いに感嘆したそうです。
事業の経営の面白さを知った喜三郎は25歳の時、呉服商と質屋を経営して富を積み家運を挽回した。 また発明の才もあり、呉服機織業を行う間にも研究を重ね、ついに手織機を発明しました。これが現在の金沢織の基をなしたといわれています。
しかし翌年からはまたまた帰郷。 郷里の山々を眺め農業を営みながら悠々自適の生活を楽しもうとしたのか、26歳から49歳までの間は郷里にあってまことに無事平穏な月日を過ごしたのであった。

しかし明治の時勢はそれを許さなかった。
北海道の開発に関する様々な風聞を見聞した喜三郎、若い頃の血が騒いだのか、1882(明治15)年深い決意を持ち妻子を富山に残し単身北海道に渡り小樽港に上陸したのであった。 喜三郎この時49歳。 この時代の平均寿命が40歳~50歳のことである。


②北海道に来てから
小樽に上陸した喜三郎。 当時の小樽はまだ人口1万人位の小さな港町でしたが将来必ず発展すると読み、青年時代に学んだ精米技術を活かし、水車を利用した精米業を着想。 直ちに兄弟と知人の労力援助でその機械製作に着手しまもなく完成。
この頃はまだ北海道では稲作が普及しておらず、東北や北陸から玄米の状態で送られる米に頼っていました。
人口の増加と共に精米の需要は伸びるに違いない。喜三郎はそう確信していました。

喜三郎の読み通り、業績は急上昇。 小樽市内の精米の6割を手掛けるまでになりました。 
そうして明治24(1891)年「共成株式会社」(精米・玄米の買入れ精白売却など)を設立。 自ら社長になり、また札幌や東京にも支店を出すなど東京以北最大の精米メーカーと呼ばれた経営の才腕を大いに発揮しました。
最初資本金70円(70万円)で興した会社が10年で75万円(75億円)に。数字だけ見てもその凄さが伝わります。
共成株式会社は、北海道における株式会社設立の始めともいわれています。


石狩沼田駅11
現在の「小樽オルゴール堂」の建物こそが、かつての共成の本社(手前半分)と倉庫(奥半分)です。

石狩沼田駅20
石狩沼田駅21
石狩沼田駅22
小樽に訪れる機会がありましたら、是非建築様式や建物内部にも着目してみてください。

石狩沼田駅19
③沼田町の開拓が始まるまで
沼田町がある雨竜(うりゅう)原野一帯は、明治22(1889)年華族の組合が1億5000万坪にわたる広大な未開地の貸下げを受け米国式農法により牧畜農業の共同経営をもって大開墾の理想を描いたが、リーダーの三条実美が亡くなったことでこの華族組合は明治26(1893)年に解散。
解散を知った喜三郎は共成の社長を辞し、檀家総代を通して大谷伯爵を説得し、大谷伯爵の名義で明治27(1894)年雨竜本願寺農場・委託開墾株式会社を設立する。
10年間の期間で開墾事業を受託し、成功したら現金か成墾地を受け取れるという仕組みです。
実美死亡後に華族組合に参加した東本願寺の現知上人大谷光瑩伯爵は、明治2年に19歳で来道し、本願寺道路を建設した体験を持つ浄土真宗の法主です。 (沼田町の歴史遺産として本願寺駅逓があります)

喜三郎は、明治27(1894)年郷土から18戸の移住者を率い4月20日本願寺(現在の深川留萌道沼田ICあたり)に到着。雪を掘り、木の枝や皮で被覆したムロのような小屋で寒さを凌ぎながら雪融けを待った。これが沼田町最初の入植者であった。
喜三郎が入植者に出した条件は、旅費や1年分の食糧を貸与・1反毎に開墾料を支給・年貢を3年間免除・開墾した土地の8割に永久小作権を与える。当時としては破格の好条件でした。
それを手始めに明治28(1895)年には180戸、翌29(1896)年には200余戸。計380余戸の世帯を未開の地に入地させました。

石狩沼田駅01
④喜三郎、開拓を始める
喜三郎はこの事業に於いて計画者であり設計者であり、施行者でもありました。
まず、土地を開墾する所から始めないといけませんでした。 原野地帯では技師を雇い荒れ地を起こし2~3年で畑作農業ができるようになりました。樹木地帯では専門の請負者に渡し伐木しました。 
使用人や開拓者、もちろん喜三郎も粗衣粗食に甘んじ、数年経った頃にようやく農耕馬を買え、導入数が増えて北海道式農業が確立し始めました。

作った農産物も、売れなければお金に換えることはできません。 最初は滝川まで歩いて、その後は雨竜川の舟運で。日用品や雑貨類も入ってきたのですがしかしこれがかなり足元を見られており日用品は高く売りつけられ農産物は安く買い取られていました。なので喜三郎は開墾会社の事務所で移住者の農産物を適正価格で買い取りそれを小樽の市場で売ることで成果を上げました。生活必需品も小樽を経由させました。

明治39(1906)年、留萠線の敷設工事が始まると、停車場の位置が決定するとともに喜三郎の構想によって市街区割がなされ、市街地に建築ブームが巻き起こされた。 
駅の敷地および線路土採場として5000坪、市街地道路用地として6町3反、殖民道路として5400坪、その他神社寺院・学校用地などは喜三郎の所有地から寄付されたものであり、学校の校舎や住宅の建設についても多大な寄付を行いました。

石狩沼田駅02
現在の石狩沼田駅の土地も、かつては喜三郎の土地でした。


順調に開墾を進めていった喜三郎。
計画通り10年で開墾を成功させ開墾委託株式会社は解散。ともに所有していた土地を分譲。喜三郎は幌似太刀別川東側(現在の沼田町の中心部)の400町歩の土地を引き受けました。  しかし水田の面積を広げた矢先、大正2(1913)年の大凶作で資金難に見舞われました。
この400町歩の土地を今井雄七(丸井今井の創業者・今井藤七の養子。後の後継者)に売却。 自らの私財を売り借金を返すとともに事業の多くを手放し、その後喜三郎は静かに村を去りました。 
大正3(1914)年に、この土地は上北竜(かみほくりゅう)村となりました。

⑤上北竜村、沼田村になる。
喜三郎の功績はまことに偉大なものであり大正9(1919)年北海道米百万石祝賀会で表彰されたが、これ以外にも枚挙が無いほど表彰され感謝状が贈られています。
しかし名誉欲の無い喜三郎は至極淡々としておりこれらについては全く関心を持たなかった。
幾多の情熱を傾け尽くして実行した事業や土地もやがては他人に委ね、去らねばならなかったのであるが、それも喜三郎の長く深い人生経験から見るとそのいっさいが空として響き、淡々とした気持ちでそれを現実の姿として観じられたことであろう。
そうして喜三郎の最も愛し終生の事業として精魂を傾けた土地は、誰も自発的になんらかの運動も行わなかったが、当時の鉄道院が村の実情に鑑みて「沼田」駅と命名し、また早くから喜三郎の功績を熟知していた北海道庁では大正11(1922)年喜三郎の姓をとり上北竜村を「沼田村」と命名しました。 アイヌ語由来の地名がほとんどの北海道で人の名前が付くのは珍しいことです。
かくて沼田喜三郎は大正12(1923)年12月、多くの人々の尊敬と惜別の情のうちに92歳の長寿を完うしてその多彩に満ちた人生の幕を閉じました。




石狩沼田駅12
千咲:これからどこに行くの?
沼田喜三郎氏に関するものが沼田町に残されています。
それを見に行きましょう。

石狩沼田駅13
駅から500m位歩くとある沼田神社

石狩沼田駅14
その末社「沼田町開拓社」

石狩沼田駅15
石狩沼田駅16
ここに祀られているのは「沼田喜三郎翁の命」です。

石狩沼田駅17
千咲:沼田喜三郎翁は、鉄道が無くなっても沼田町を見守ってくれるのかな。


石狩沼田駅23
石狩沼田駅24
石狩沼田駅27
石狩沼田駅28
夜高あんどん祭り
八雲町・斜里町と並んで「北海道3大あんどん祭」と評される沼田町最大の祭り。
これも、沼田喜三郎の故郷、富山県・旧津沢町の夜高あんどん祭を伝承したものです。
毎年8月の第4金曜と土曜日に開催されています。 今年は25日と26日の開催です。


石狩沼田駅10
駅のすぐ南側にある「第6旭川留萌線踏切」
目の前の道路は国道275号です。
ここは、北海道ではたった2箇所しか無い「国道にかかる踏切」です。
もう1箇所は夕張市の石勝線・夕張支線の清水沢駅のすぐ南側にある国道452号の踏切です。
留萌本線も夕張支線もほぼ廃線が決まっているので、北海道の国道踏切ももうすぐ見納めになるかも?

石狩沼田駅26
千咲:そう考えると、大変貴重なものに見えて来るわね。

石狩沼田駅25
石狩沼田駅の常備券(石狩沼田→深川)と、JR北海道のわがまちご当地入場券。

石狩沼田駅29
この駅の入場券の入手難易度はかなり高めで、平日の7:20~8:55/9:50~11:25/12:35~13:40の間のみ駅の窓口で購入することが可能です。(土日祝日はお休みです)

最後まで読んでいただきありがとうございます。
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No title

いつも 訪問ありがとうございます 
 そう ここには 小学生の頃に 住んでました
  札沼線 全線が ちゃんと ある頃ね
   初めて 札幌から おばさんのいる 沼田駅で
札幌では 見れないような光景が
 小さい子を おぶって 着ていた 女の子
  その周りに 4人かな? 沢山の子供が
   兄弟たちを それが この沼田の駅の記憶です
まあ 古いけどね
 沼田から 今度は 三川へ 高校通学は SLで
  北海道最後の SL路線でした
  

No title

こんばんは~

はじめまして、「もるモモ~もふもふデイズ~」の管理人の夜月です。

昨日は訪問してくれて、ありがとうございます(≧▽≦)
(以前にも何回か見に来てくれていましたよね?)

以前から興味があってたまに読ませて頂いてたのですが、今回は訪問してくれたのを切っ掛けにコメントしました(笑)

千咲ちゃんや瑞季ちゃんや他の子達も可愛くて素敵ですね!!

北海道は行ったことがなく、いつもテレビやブログなどを見たりして「行ってみたいな~」って思ったりしています。

自分は都会より自然の多い場所の方が好きです。
(住んでいる場所は大阪です)

だから、冬音さんのブログも見たりしているとついテンションが上がったりします(〃艸〃)ムフッ
(可愛いドール達の写真も見れるからなおさらテンションが上がります)

冬音さんのブログでは駅とかの歴史など色んなことが書かれていて、自分にとって知らないことばかりだから勉強になります。

北海道の色んな場所や可愛いドール達が見れるので、また見に行かせて頂きます。

ではでは、今日はこの辺で失礼します。

時代の変遷かもしれないけど・・

しみじみとさせられる記事ですね・・

駅は私達の生活にとってなくてはならないものですけど、
路線そのものが時代の変化と共に更に発展したり、逆に利用頻度が下がりまくって廃線に追い込まれるなど
時代の変遷と共に揺れ動いていく運命なのかもしれないですね。

小樽港へ発送する鰊や石炭の輸送という当初の目的は立派に
果たされていても、
鰊や石炭自体の需要が減ってくると、路線・駅そのものの利用頻度が下がりこうやって路線名が消えようとしていく事にも
やはり一抹の寂しさは感じざるを得ないですね。

駅名の由来にもなった沼田氏のヒストリーを拝見させて頂くと
「駅にも歴史あり、人にも歴史あり」というのを痛感させられます。
沼田市の想いは、路線名が消えたとしても後世の地元の皆様にも
ちゃんと伝わっていると思いますし、そうした一つの形が
オルゴール館なのかもしれないですね。

千咲さんの浴衣がかわいいけどどことなく「儚さ」を感じさせてくれるのは、「夏の終わり」が近いからなのかも
しれないですね・・

No title

こんにちわ

いつもきれいな娘さんと駅、鉄道の写真で癒されます。
なかなかコメできなくて
ごめんなさい・・

やっぱ北海道いいなぁ・・・
自分は堺市なので全国的に有名な路面電車があるから今度寄生虫(笑)
連れてでかけてみようかなとおもいますよ。

喧嘩あんどん・・・・・

ケンカ祭りかな??

うちの地元はもうすぐ大きなケンカ祭り
岸和田だんじり祭りがありますよ~~~


Re: 北海道のくま さん

> いつも 訪問ありがとうございます 
北海道のくま さん、コメントありがとうございます。

>  そう ここには 小学生の頃に 住んでました
>   札沼線 全線が ちゃんと ある頃ね
札沼線が沼田まで通っていた頃ということは、今の駅舎になるより前のお話なのですね。
かつて雨竜や北竜にも鉄道が通っていたというのは今では想像もできなくなりました。

>    初めて 札幌から おばさんのいる 沼田駅で
> 札幌では 見れないような光景が
>  小さい子を おぶって 着ていた 女の子
>   その周りに 4人かな? 沢山の子供が
>    兄弟たちを それが この沼田の駅の記憶です
駅前に昔建っていた金子旅館もすっかり更地になり、寂しい駅前という印象もありました。
平成6年のJR全線全駅には石狩沼田駅の利用者は1日484人という数字が載っていました。
賑わいがあった頃の駅の風景、夜高あんどん祭の帰りの列車には40人以上が乗りこみました。
2両編成の列車に並んで乗り込む人々という景色は、昔の石狩沼田駅の日常だったのでしょうね・・・

Re: 夜月さん

> こんばんは~
> はじめまして、「もるモモ~もふもふデイズ~」の管理人の夜月です。
夜月さん、コメントありがとうございます。

> 昨日は訪問してくれて、ありがとうございます(≧▽≦)
> (以前にも何回か見に来てくれていましたよね?)
> 以前から興味があってたまに読ませて頂いてたのですが、今回は訪問してくれたのを切っ掛けにコメントしました(笑)
今年に入ってから、いきなり駅とか鉄道の話が始まったのですが、それまでは普通のドールブログをしてました(笑)
寸劇調のは難しくて、ほとんど旅の記録的な記事になっています・・・

> 千咲ちゃんや瑞季ちゃんや他の子達も可愛くて素敵ですね!!
可愛らしいと言って頂けるとありがたいです。
大きな子、小さな子まで様々な子がいるこのブログ。

> 北海道は行ったことがなく、いつもテレビやブログなどを見たりして「行ってみたいな~」って思ったりしています。
> 自分は都会より自然の多い場所の方が好きです。
> (住んでいる場所は大阪です)
北海道の有名な観光地を紹介するような感じではなく、「1日平均利用者数ほぼ0」の小さな駅などを中心に紹介してきた今年。
自然しかない北海道ですが、「北海道にこんな所があるんだ!」と思って頂ければ幸いです。
冬の駅から春の駅・夏の駅へ。そろそろ秋の撮影が始まっていく予定です。

> だから、冬音さんのブログも見たりしているとついテンションが上がったりします(〃艸〃)ムフッ
> (可愛いドール達の写真も見れるからなおさらテンションが上がります)
駅×歴史×ドール写真という変わった取り合わせをしているこのブログですが、北海道愛で成り立っています。
そう言って頂けると細かい記事作りをできそうな気がします。

> 冬音さんのブログでは駅とかの歴史など色んなことが書かれていて、自分にとって知らないことばかりだから勉強になります。
今回の石狩沼田駅も、2,3年後には路線ごと廃止され無くなってしまうかもしれない場所です。
なので、「今」行けるうちに駅や歴史を少しずつドールと旅しながら記録したいと思っています。

> 北海道の色んな場所や可愛いドール達が見れるので、また見に行かせて頂きます。
> ではでは、今日はこの辺で失礼します。
またお越しください! お待ちしております。

Re: ぬくぬく先生さん

ぬくぬく先生さん、コメントありがとうございます。

> しみじみとさせられる記事ですね・・
> 駅は私達の生活にとってなくてはならないものですけど、
> 路線そのものが時代の変化と共に更に発展したり、逆に利用頻度が下がりまくって廃線に追い込まれるなど
> 時代の変遷と共に揺れ動いていく運命なのかもしれないですね。
北海道開拓という使命を持って19世紀末から作られていった北海道の鉄路。
開拓が進み、道路も便利になり、自家用車が普及。 林業や漁業・石炭の需要が減りトラックで十分になると鉄道を利用するのはほぼ高齢者と高校生だけに。そして廃線を迎えた路線も沢山ありました。
一方で札幌圏は住民が大幅に増え、駅も国鉄末期に10駅近く新設されました。

> 小樽港へ発送する鰊や石炭の輸送という当初の目的は立派に
> 果たされていても、
> 鰊や石炭自体の需要が減ってくると、路線・駅そのものの利用頻度が下がりこうやって路線名が消えようとしていく事にも
> やはり一抹の寂しさは感じざるを得ないですね。
札沼線。今の札幌市民に聞いても「何それ?」という顔をされると思います。
駅のアナウンスも「学園都市線は~」なので・・・  「さっしょうせん」響きもあまり良くはありません。
浦臼から新十津川間はついに1日1往復という究極のダイヤになってしまいました。

> 駅名の由来にもなった沼田氏のヒストリーを拝見させて頂くと
> 「駅にも歴史あり、人にも歴史あり」というのを痛感させられます。
> 沼田市の想いは、路線名が消えたとしても後世の地元の皆様にも
> ちゃんと伝わっていると思いますし、そうした一つの形が
> オルゴール館なのかもしれないですね。
小樽の共成の本社が建った頃には沼田翁は既に社長を辞していて熱心に町で暮らし開拓を進めていました。
かつては駅前に翁の自宅がありました。 むしろ家の前に駅の土地を用意したと思うくらいです。
建物には「明治24年創業の共成㈱は、北海道有数の精米・米穀商」という記載のみで沼田翁のことは全く触れられておりません。
そこが寂しく、このブログで沼田町と小樽市を沼田翁という1つの軸で繋いでみたのです。  


> 千咲さんの浴衣がかわいいけどどことなく「儚さ」を感じさせてくれるのは、「夏の終わり」が近いからなのかも
> しれないですね・・
夏が終わり、秋がもうそこまで来ています。 このブログではもう少し夏が続いてきます。
秋は秋で撮りたいものがあるのです。 

Re: AKIAKANE(マッキチ)さん

> こんにちわ
AKIAKANE(マッキチ)さん、コメントありがとうございます。

> いつもきれいな娘さんと駅、鉄道の写真で癒されます。
> なかなかコメできなくて
> ごめんなさい・・
こちらこそ、あまり訪問できないでごめんなさい・・・
AKIAKANEさんおすすめの野花南は微妙に距離が遠くて訪問できていませんが、芦別に用事がある時にやりたいとは思っています。

> やっぱ北海道いいなぁ・・・
> 自分は堺市なので全国的に有名な路面電車があるから今度寄生虫(笑)
> 連れてでかけてみようかなとおもいますよ。
路面電車、昔(40年以上前)は旭山動物園の前まで走っていた時代もありました。
我がまちでは車の普及と共に姿を消しましたが、今も残っている堺の路面電車は貴重だと思います。

> 喧嘩あんどん・・・・・
> ケンカ祭りかな??
簡単に言うなら、重量5トンある煌びやかな大きなあんどん同士をぶつけて壊すお祭りです。
余談ですが、芦別市には「芦別健夏(けんか)まつり」という祭もあります。

> うちの地元はもうすぐ大きなケンカ祭り
> 岸和田だんじり祭りがありますよ~~~
岸和田だんじり祭は有名ですよね。 見に行かれるのですか?
派手な祭が近づくと気分も上がるというものです。
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