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冬音

Author:冬音
北海道でドール撮影をしています。
北海道は季節感が本州と多少異なりますが、それも個性ということで。
北海道地図があると、より楽しめるかと思います。

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ダムに沈んだ駅 (根室本線・滝里駅)

Category : 北海道の鉄道
滝里駅16
滝里について知るべく向かったのは、ダムのある芦別(あしべつ)市の国道38号沿いにある「道の駅スタープラザ芦別」
JR芦別駅から徒歩15分の場所にあります。

滝里駅17
の隣にある「星の降る里(ふるさと) 百年記念館」です。

滝里駅21
芦別市が開基100年を迎えたのを期に作られた、芦別市の郷土資料館です。
入館料は大人200円、高校生100円、中学生以下無料です。
芦別に関する文学、自然、遺跡、生活、そして炭鉱のことなどに関する展示が充実しています。
道の駅に併設されているのでドライブがてらいかがでしょうか。

追記にも、滝里のことが続きます。
続きを読むからどうぞ。
滝里駅19
滝里駅の駅名標のレプリカ。 本物は小樽市総合博物館(旧・小樽交通記念館)に収蔵されているらしいです。

滝里駅18
滝里駅があった頃の隣の駅「野花南」と「島ノ下」駅の駅名標。
今は島ノ下駅も無くなってしまいました

島ノ下駅展25
島ノ下駅展24
後ろの駅名標にも、「たきさと」と書いてありました。

滝里駅20
在りし日の滝里駅舎。 駅入口の「滝里駅」と書かれた板は記念館に保管されているものです。
[滝里駅の歴史]
1913(大正2)年 鉄道院釧路本線「奔茂尻(ぽんもしり)」駅として開業
奔茂尻は、アイヌ語「ポン・モシリ(小さい・島)」から。
1921(大正10)年 根室本線の駅になる
1946(昭和21)年 滝里駅に改称
1982(昭和57)年 駅無人化
1991(平成3)年  野花南駅~島ノ下駅線路付け換えにより営業終了
滝里はアイヌ語「ソ・ラプチ・ペッ」(滝がごちゃごちゃ落ちている・川)の意訳だと思われます。

滝里駅47
昔は空知(=ソ・ラプチ)大滝という難所が滝里と野花南の間にありました。
今でもあるのですが、ダム完成により水量が大きく減り昔ほどの荒々しさは無くなりました。
(シャッタースピードは1/2500秒です)
同じ語源の意訳で「滝川」という地名もあります。

滝里駅43
奔茂尻トンネル。 かつての地名がトンネルの名前に残されています。

滝里駅35
滝里駅は、ドラマ「北の国から'89 帰郷」や「渇愛」に登場しました。

滝里駅44
北海道開発局 札幌開発建設部空知河川事務所のページより、
昭和37年の洪水記録写真_復旧後の鉄路と滝里」より「滝里駅にて」

滝里駅45
「秋景色」

滝里駅46
「空知川と滝里町」
撮影者は3枚とも杉森一雄氏(滝里出身)だと思われます。

滝里駅41
滝里駅42
特に、北の国から'89では蛍と和久井勇次(竹中直人)が滝里でデートする場面。
木にYとHのイニシャルを刻んだシーンは印象に残っているのではないでしょうか。





滝里駅22
滝里ダムがの建設が北海道開発局によりひそかに計画されたのが1972(昭和47)年。
その3年後に芦別市に「ダム建設に適している」との返事をしたことで計画が明るみに。
1979(昭和54)年に空知川総合開発事業の1つとして建設が開始されるまで、町民はもちろん反対活動をしました。
しかし当時から過疎化は進んでいて、住民の高齢化、農業の後継者不足、土地もそこまで農業に適している場所でもなかった(河原の石が多かった)ことから、住民側からも次第に用地買収/生活再建の交渉や補償交渉を進めていき、1985(昭和60)年に上芦別町に移住用の団地を造成してもらい、翌年(昭和61年)7月に滝里小学校が閉校、8月末に街の閉町・解散式を行い、人々は街を去って行きました。
人々が去った後(1986~1991)も駅は残っていました。
駅の管理もJRから北海道開発局に移り、最晩年の滝里駅は滝川方面1本、富良野方面2本しか停車しなかったそうです。
その頃の利用者はダム関係者・元住民・「北の国から」のファン・鉄道ファンでした。

そうして滝里ダムは1999年(平成11)年に完成しました。
ダムは、重力式コンクリートダムで、ダムに造られた北海道電力・滝里発電所は52,000wの発電能力を備えた北海道最大の水力発電所です。 ダムの堰堤は445mもありとても大きなダムです。

滝里駅28
瑞季:ダムに沈んだ街、住民にとっては納得してのことだったのかな。
1962(昭和37)年8月、空知川が氾濫した時には橋が流されて陸の孤島となった滝里。 
それまでも幾度となく水害に見舞われてきた空知川流域の事を考えると納得する気持ちもあったのかもしれません。


滝里駅30
現在は、滝里湖オートキャンプ場や

滝里駅31
滝里ダム防災施設(旧・滝里ダム資料館、キャンプ場のセンターハウスも兼ねてます)があります。
ここの資料館は、ダムの歴史だけではなく、沈んだ滝里住民への感謝と記録を後世に残すためのパネル展示やバーチャルシアターなどがあり見ていて楽しい場所です。 冬季は休業していますが料金は無料となっております。
※防災施設でも休業期間を除き、ダムカードが貰えるようになりました。 (5月~11月上旬の9:00~16:30)

滝里駅27
滝里湖を見下ろせる高台に滝里記念公園があり、

滝里駅23
滝里駅37
そこに滝里集落にあった神社や学校の校門、バス停の建物などゆかりのあるものを沈む前に移設しました。

[滝里はじまり物語]
滝里の開拓は、明治36(1903)年4月、高田芳太郎ほか2名の入植により開始されました。
高田芳太郎は、富山県西砺波郡石動町(現・小矢部市)の人で、芳太郎の長男が与太郎でした。
高田家の遠縁は、加納助左衛門と呼び、源家譜代の郎党だったとか。。。
芳太郎は、鍛冶が主な仕事でしたが、北海道の農業が有望と知り明治29(1896)年赤平に入植。しかし空知川の氾濫で耕地を失い歌志内の炭鉱労働に従事していました。
与太郎は、明治33(1900)年に妻子を伴い芦別に入植。 その後父子力を合わせて滝里(当時は滝の上)の密林の中を開拓していきました。
当時の滝里の地は、老樹、古木うっそうとして、天日を見ることもできない大密林の中で、未開地5町歩の貸下げを受け、掘立小屋にようやく風雨をしのぐという有様であった。

滝里駅29
滝里神社
故郷を遠く離れ、荒涼とした開拓地に住む人々にとって、その心の支えとなるのは宗教でした。 
明治38(1905)年、開拓の祖となった高田芳太郎が発起人となり神社を設置しました。
その後、住民の寄進により鳥居や手洗所、狛犬が設置されました。

滝里駅26
戸隠神社
長野県に鎮座されている戸隠神社に、北海道に移住してしまうと遠く海を離れていて詣でがたいと思い、大正5(1916)年、脇島直吉が同志を集め、54人の賛同者を得て戸隠神社に連盟の上出願し、その年に滝里に神殿を設置し、本家から神鏡と掛軸1組が下付されました。
当時は、雨乞いの霊神として広く知られていました。

滝里駅25
望郷の碑

空知(そらち)川 せき止むほどに 滝里の 八十年をいま ふり返りつつ

滝里駅32
滝里駅33
滝里駅34
[滝里遺跡群]
ダム建設に伴う退去が進んだ後の平成元年(1988)から平成10年にかけダム建設に先駆けダム工事区域内22箇所で遺跡調査が行われました。
総面積190,382㎡を10年かけ、延べ8万人の作業員が発掘にあたりました。
出土した遺物は、旧石器時代から擦紋時代まで幅広く、総数は100万点を超えます。
調査後の遺跡は翌年全てダム湖の中に没しました。

滝里駅39
瑞季:あの浮島の辺りが街の中心部だったのね。

滝里駅40
夕方の湖とカメラ女子。 いいシチュエーションです。

滝里駅38
瑞季:デートの最後の1枚は、あなたの写真を撮りたいな。

滝里駅36
今回の記事は、滝里町七十周年記念誌(非売品)と、ポンモシリ ふるさと滝里町写真集を参考に作りました。
もっと滝里地区の昔の写真を見たい!という方は、「空知河川事務所」のHPからどうぞ。
最後まで見ていただきありがとうございます。

10月には訪問しなかった滝里ダムも、先日訪問してきました。
訪問記はしばらく先になると思いますが、ダムって見て楽しい場所ですね。
ダムカードを収集する人の気持ちが分かるような気がしました。
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移設はせめてもの救い・・

うーーん、なんか哀しくてせつない記事ですね・・

こうした「ダムに沈んだ町」というのは全国にも幾つかあったり
するとは思うのですけど、道内の場合はこれに過疎化という問題も
絡んできたりもしそうですので、
大変難しい問題が背景にあるような気もしますね。

確かに氾濫防止という観点からはよかったのかもしれないですけど、やはりそこに実際に住んでいた皆様の複雑な心境を考えると
果たして「何が正解で何が不正解なのか」という事は
感嘆には言えないようにも感じたものでした。

だけどこうやって町全体がダムに沈む前に
こうやってたとえ一部の施設であったとしても
移設を出来た事は一つの「救い」なのかもしれないですね。
特に神社は大変よいことだと思います。

それにしても、カメラ女子の瑞季さんの後姿は、
とてもせつないものもありそうですけど、
同時にとても可愛いものがありますね。とても素敵です!

No title

カメラ女子な瑞季ちゃん、かわいい(*´ω`*)

ダムの由来とか歴史とかを知ると、なんだか切ない気持ちになりますね。
ところで、ダムカード、なんてものがあったんですね~、知らなかったです!

Re: ぬくぬく先生さん

ぬくぬく先生さん、コメントありがとうございます。

> うーーん、なんか哀しくてせつない記事ですね・・
ダムに沈んで約20年、今では名前しか残っていない滝里。
廃駅になった場所や利用者がいなくなった駅とは違う切なさがあります。

> こうした「ダムに沈んだ町」というのは全国にも幾つかあったり
> するとは思うのですけど、道内の場合はこれに過疎化という問題も
> 絡んできたりもしそうですので、
> 大変難しい問題が背景にあるような気もしますね。
ダムに沈んだ場所は多数ありますが、幹線鉄道(根室本線)や主要国道も通っていた場所は多くは無い気がします。
過疎化は現代に始まったことではない。。。 ということですね。
ローカル線が次々に廃止された80年代には既に過疎が見られてましたし、本当に難しい問題ですよね。

> 確かに氾濫防止という観点からはよかったのかもしれないですけど、やはりそこに実際に住んでいた皆様の複雑な心境を考えると
> 果たして「何が正解で何が不正解なのか」という事は
> 感嘆には言えないようにも感じたものでした。
ダムの名前に「滝里」が残ったのも救いかもしれません。
同じ空知川の上流にある金山(かなやま)ダムは、鹿越(しかごえ)集落が水没したのに「金山」ですから。
滝里は、ダム建設が最近でしたので写真や映像で集落の様子が残されているのはまだ恵まれているのかもしれません。

> だけどこうやって町全体がダムに沈む前に
> こうやってたとえ一部の施設であったとしても
> 移設を出来た事は一つの「救い」なのかもしれないですね。
> 特に神社は大変よいことだと思います。
その辺に気を遣える時代になったということもあるかもしれませんね。
4階建ての資料館なんかも、他のダムでは殆ど見たことがありません。
高度経済成長期の頃にはそんな余裕も無かったでしょうし、建物も一部残ったまま水没させたダムもあります。
ムダな公共事業といえばそうかもしれませんが、滝里のことを後世に伝える、意味のあるハコものかなとも思っています。

> それにしても、カメラ女子の瑞季さんの後姿は、
> とてもせつないものもありそうですけど、
> 同時にとても可愛いものがありますね。とても素敵です!
切なさを抑えめに、初めての湖という楽しさを強めにしています。
学田駅、富良野の公園、山部駅、思い出橋と続いたこのドライブデートの締めに湖を選んだので可愛く撮れるよう努めて。

Re: めろ子さん

めろ子さん、コメントありがとうございます。

> カメラ女子な瑞季ちゃん、かわいい(*´ω`*)
秋の夕方とミラーレスのカメラというアイテムがそれっぽくて良いですよね。
一面の湖が、開放的な気分にさせてくれます。

> ダムの由来とか歴史とかを知ると、なんだか切ない気持ちになりますね。
> ところで、ダムカード、なんてものがあったんですね~、知らなかったです!
ダム建設のため地域を去った人々、そうした人々の記憶を後世に伝える。
そうした資料館があり、ダムカードを貰いに人々がダムに来る。そうした流れができるといいですね。
ダムカードは日本各地のダムで無料で貰えます。 最近はマンホールカードなるものがあるようです。 
 
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