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冬音

Author:冬音
北海道でドール撮影をしています。
北海道は季節感が本州と多少異なりますが、それも個性ということで。
北海道地図があると、より楽しめるかと思います。

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モチーフは芦別岳 (根室本線・山部駅)

Category : 北海道の鉄道
山部駅04
今回は、布部駅の隣、山部(やまべ)駅の記事になります。
撮影したのは昨年の10月、富良野線の学田駅から車で移動してきました。
山部駅の特徴は、やはりこの駅舎でしょう。

山部駅05
この駅舎は、昭和63年に改築された3代目の駅舎で、駅が芦別岳の登山口の始まりであることから芦別岳をデザインし、欧州の山小屋風に。 また、東大演習林のまちということもあり木のイメージを前面に出しています。

山部駅06
先日、某タレントがこんな感じで線路に入ってクレームがつく事件がありましたよね。

山部駅07
撮影した頃は、山部駅を含む富良野~新得・芽室間は全線運休していました。
なので、列車は確実に来ないと思ったので撮っていました。 
この頃は富良野駅から落合駅まで代行バスが運行されていました。

追記にも、駅のことを載せていきます。
続きを読むからどうぞ。
山部駅08
山部駅待合室。 布部駅と比べて大きいです。

山部駅19
「旅路」 西村正幸氏の書。

山部駅20
それは、山部という地区が昔「山部村・町(1919~1966)」という独立した地域だったことが関係しているでしょう。
「村の中心駅」として、富良野町と合併する前は有人駅として機能していたでしょう。

山部駅10
富良野が富良野になったのは、山部地区のおかげなのです。
それは、「新市町村建設促進法(1956)」に理由があり、本来は人口5万人を超えないと「市」になれないと定められていましたが、
「合併時に限り、人口3万人という条件を満たせば市になる」ことができました。(=3万人特例。2010年廃止)
東山村(現・富良野市東山(東大演習林の側+部)地区)との合併は上手く行った富良野町。ただ山部村は、「合併しなくても財政的にやっていける」と考えていたため話が10年間平行線に。

山部駅16
(駅前の風景。 道道544号麓郷山部停車場線の終点です)
この頃の富良野町の人口は約2万8000人。 ぎりぎり3万人に足りず、市になるためにはどうしても山部と合併する必要がありました。
1965年の山部での合併に関する住民投票で開票の結果、「賛成:1797/反対:1638」の微差で合併が決まり、翌年「富良野市」が誕生しました。
しかしそれから人口は減少しつつあり、現在の人口は2万2562人(2017年2月末現在)です。

山部駅12
瑞季:合併か。。。 おしゃれな駅だけど、そこに村の歴史があるのね。 

山部駅15
[山部駅の大まかな歴史年表]
1900年 北海道官設鉄道十勝線の信号停車場として設置
1901年 駅に昇格
1986年 無人化。簡易委託駅に
1988年 現在の駅舎に
1994年 完全に無人駅に。

山部駅11
[山部地区の大まかな歴史]
1897年  札幌農学校調査団が入地し、地質調査を行う。
1898年  空知郡富良野村字フラヌ所在未開地3,342haの所管換を受け、これを札幌農学校(現・北海道大学)第8農場とした。
1899年  北方林業並びに林学の研究と教育を目的に、内務省から国有林23,597haの移管を受け、東京帝国大学農科大学試験地として、現在の東京大学大学院農学生命科学研究所附属演習林、「東京大学北海道演習林」が設置される。
1899年  中内弥重吉が入植し食料品店開業。 山部停車場建築を請け負う。
1901年  第8農場の小作人を募集、地区の開拓が始まっていく。 この頃に山部駅開業。
1902年  呉服店や雑貨店が開業し、市街地の原型が造られていく。
1904年  山部簡易教育所(現・富良野市立山部小学校)開校。
1905年  山部の戸数が100戸を超える。
1915年頃 食糧難時代、じゃがいもが主要作物に。 澱粉工場が多く造られた。   
1930年頃 大学の援助もあり、灌漑溝の掘削が進み270haの水田が造られる。
1938年  石綿鉱山の開発が始まり、人口が増加。市街地(駅前)は活況を呈した。
1950年  北大農場が農地開放(売り払う)、374戸中334戸が開放。
1957年  澱粉用じゃがいもの価格下落。 水田への転換が進む。
1966年  国営灌排事業が着手され、農地の7割が水田に。
1975年  ネットメロンの栽培が始まり、山部地区の特産品に。

山部駅23
[野沢鉱山]
山部地区の発展を支えたものが野沢鉱山です。 (山の中腹の禿げた所全てがそうです)
1938年 ノザワスレート会社で石綿の試掘を行い、北海道石綿開発株式会社(現・ノザワ)設立。 野沢石綿鉱山・山部石綿鉱山の開発が始まりました。
1939年 野沢石綿工場・山部石綿工場設立。
1942年 操業開始
日本の石綿鉱山としてはNo.1の規模を誇った野沢鉱山。 全盛期には500人を超える人員が採掘・選鉱作業に従事していました。

この頃の山部地区は言わば城下町として栄えていました。
「富良野町と合併しなくてもやっていける」という根拠はここにありました。

しかし戦後、安価な外国産の石綿が輸入され始めると需要は低下。1964年の山部石綿工場全焼の影響もあったのか、1969年に資源の枯渇もあり採掘を終了しました。
採掘は終了しましたが、それからも事業は継続されており、敷地内に大量に堆積する蛇紋岩の鉱滓(ズリ)から、モルタル混和材や樹脂・セラミックス・接着剤の添加剤として使用する石綿を回収していました(~2002)。

山部駅22
(株式会社ノザワ フラノ事業所)
現在は、石綿の代替となりうる新素材を開発する研究や、石綿の母胎である蛇紋岩を加工して、農業向けの肥料の製造販売も山部から行っています。

こうなると財政的にはやっていけないと思う人が多くなったのか、1959年に一度は議会で「富良野町と合併を行わない」ことを議決した山部も僅差ですが合併賛成派が上回り、富良野町と合併することになりました。


山部駅09
そんな山部の由来は、アイヌ語で
①ヤム・ペ(冷たい・水)
②ヤム・エ(栗の実・を食べる)
③ヤマエ(栗を・我ら・食う) の説があります。
布部が胡桃なら山部は栗。というのがしっくり来るような気がします。

山部駅14
瑞季:1966年に合併されてから20年、駅の無人化というのは町にとって影響があったのかな?

山部駅01
山部が合併を受け入れる条件として、富良野農業高校を山部地区に建てました。
その農業高校も駅から離れていて不便だったこともあり1999年に閉校し、現在は富良野市生涯学習センターや郷土資料館などが併設された多目的施設になっています。
写真は無人化する直前の記事。 

山部駅18
瑞季:これからいったい、山部駅はどうなっていくのかな。


山部駅02
山部駅03
当時の滝口・富良野市長「鉄道の利用を高め、根室本線を21世紀へつなげていきたい」

山部駅21
(山部駅の灯)
あれから約30年経った今、山部駅は再び岐路に立たされています。

山部駅17
瑞季:次の目的地はどこかな?
瑞季と行く、秋の旅。 次はどこへ行ったのでしょう。
今回はここまでとなります。 最後まで見ていただきありがとうございます。
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こうした立派な駅も無人駅というのは意外でもあり寂しくもありますね・・

最初にこの記事を読んだときは、
「あれれ・・いつもの雪がない!
 いつの間にか雪解けして本格的な春到来を迎えたのかな・・?」とも
感じたものですけど、
実際は10月の撮影だったのですね! (汗・・)

冬の光景と秋の光景では、随分と雰囲気も印象も違って見えるの
でしょうね。
それにしても豪雨による長期の運休は住んでいる皆様にとっては
死活問題ですよね。

瑞季さんがとても可愛いです!
ミニスカートもとてもよくお似合いだと思うのですけど、
さすがに真冬にミニも大変でしょうから、
秋の撮影というならば、十分妥当性がありますね! (笑)

Re: ぬくぬく先生さん

ぬくぬく先生さん、コメントありがとうございます。

> 最初にこの記事を読んだときは、
> 「あれれ・・いつもの雪がない!
>  いつの間にか雪解けして本格的な春到来を迎えたのかな・・?」とも
> 感じたものですけど、
> 実際は10月の撮影だったのですね! (汗・・)
リアルタイムではようやく、雪が融け自転車での通学が認可される季節がやってきました。
秋頃の写真から、雪深い頃の写真、ごく最近の写真。
これからそれらの駅の写真がごちゃごちゃになっていきます(笑)
どうしても、今書きたい駅と思った駅の記事から作成していくのでそうなってしまうのです。
これからは大体の日付を記事に入れていきます。

> 冬の光景と秋の光景では、随分と雰囲気も印象も違って見えるの
> でしょうね。
冬は、駅舎の雰囲気もあり本当に静かな山間の駅みたいな雰囲気になります。
実際は村の中心という立地で結構開けた場所なのですが(笑)

> それにしても豪雨による長期の運休は住んでいる皆様にとっては
> 死活問題ですよね。
沿線の南富良野町では去年の台風10号の豪雨により堤防が決壊し、車が流されたり廃車になったりして、JRも運休となると、生活再建のための生活家電を買い換えるのに富良野市街まで来る必要があり本当の死活問題でした。
南富良野までの主要道路や橋梁に大きな被害が無かったのが幸いでした。
現在も不通となっている区間の中には南富良野高校もあり、富良野市から通う生徒にも影響がありました。

> 瑞季さんがとても可愛いです!
> ミニスカートもとてもよくお似合いだと思うのですけど、
> さすがに真冬にミニも大変でしょうから、
> 秋の撮影というならば、十分妥当性がありますね! (笑)
真冬にミニスカートではダメですかね(笑)
これからも瑞季の写真記事がしばらく続きますがお付き合いください。
このシリーズは2回目ですが、1回目の学田駅も秋っぽい写真なのでそちらも見ていただけると幸いです。
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