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Author:冬音
北海道でドール撮影をしています。
北海道は季節感が本州と多少異なりますが、それも個性ということで。

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鉄路は血管である (石北本線・金華信号場)

Category : 北海道の駅
金華信号場12
瑞季:1年前までここは駅だったのね・・・ でも車が停まってるね。

金華信号場06
今回は、北見市留辺蘂(るべしべ)地区(旧・留辺蘂町)にある石北本線・金華(かねはな)信号場の記事です。

金華信号場04
2016年3月までは、「金華駅」として営業していました。

金華信号場01
駅としては廃止されましたが、列車交換のできる信号場としては活躍しています。
写真は、特急列車「大雪」2号と列車交換した遠軽発網走行き普通列車。
実際は上川駅を6時11分に発車して、遠軽駅で50分停車した後網走行きに変わります。

金華駅の開業は大正3年、「奔無加(ぽんむか)」駅として。
意味は、アイヌ語「ポン・ムカ」。子である・ムカ川。もしくは小さく・よく塞がり詰まる川。
昭和26年に「金華」駅に改称されました。
意味は、この地区に住友鴻之舞(こうのまい)鉱山・奔無加支山があったことから。
山には金脈があることから「」、奔無加の「加」を「」に換えて「金華」になりました。

金華信号場08
金華信号場09
金華信号場前の風景。 かなり寂れています。

金華信号場05
金華信号場07
駅舎は、昭和9(1934)年に建てられてから廃駅になるまで現役でした。
現在も、信号場として保線管理要員の休憩所として利用されています。
なので、冬期間は人はいます。

金華信号場02
ですから、彼らの邪魔にならないようひっそり、静かに撮影しました。

金華信号場03
駅が廃止され駅名板などが撤去された中、これだけは残されました。
常紋(じょうもん)トンネルと、タコ部屋労働。 それは北海道の鉄道史とは切っても切れないものです。
今回は、心臓に悪い、読んでいて辛くなる話が続くので歴史面については追記に記していきます。
文章ばかりですが、それが100年前の北海道の現実でした。





[常紋トンネル]とは
北見国常呂郡と紋別郡の郡境という意味から名付けられた、全長507mのトンネル。
石北本線生田原駅~西留辺蘂駅間に存在しています。
生田原側は荒井組が、留辺蘂側は沢井組が請負、1911年に工事が開始され、36ヵ月かけ1914年に開通しました。



[タコ]とは
周旋屋(人夫紹介業)に脅迫・誘拐され連れ込まれた内地(北海道外=他雇=タコ)の拘束・監禁労働者。
また、長年の労働で肩にタコができた熟練土工が、その技術と労働を売ることを「タコを売る」と表現していたこと、一度タコ部屋に入ると抜け出せず、結局「蛸」が自分の手足を食べて生き延びるように自分の体を売って生きていくので「タコ」と表現する・・・
常に脱走の機会を狙い、逃げ足が早いので「凧」に例えた・・・
由来が1つに絞れないのは、「他雇」「熟練土工」「親方」それぞれの視点の見方をしているからです。

[タコ部屋制度の変遷]
1890年、北炭室蘭・夕張線工事(現・室蘭本線・石勝線夕張支線)で始まったとされています。
1894年、囚人を利用した外役労働(例:瀬戸瀬駅編で紹介した囚人道路など)が廃止。
1898年、「北海道鉄道敷設法」が公布されると拘束・監禁・強制労働のタコ部屋が鉄道工事に発生し、以降道路や港湾、用水溝工事に拡大されていきました。
1906年に「鉄道国有法」、1910年「軽便鉄道敷設法」が公布され、石炭・鉱石・木材・パルプなどの資源を運ぶ鉄道と道路がタコ部屋労働 によって作られていきました。 今は廃止になった北海道のローカル線・特急列車が走る幹線の多くも、この頃着工されました。
また、地主の増収を図るための畑地と原野の水田化は北海道土功組合法(1902)による灌漑用水溝の国庫補助と第一期拓殖計画(1910)とにより推進され、こちらにもタコ部屋労働が当たり前のように存在していました。
1910年代末から、タコ部屋労働者の酷使・虐待が新聞に報道され、警察の取り締まりが厳しくなっていきました。
最終的には戦後のGHQ民主化政策の1つとしてタコ部屋解散命令が出て、約60年の歴史を終えました。




[タコ部屋労働の実態]
暗いうち(朝3時半頃)から起こされ、手探りで食事(握り飯2個)をとったあと、棒頭(常に監視し、遅いと棒で叩く人)に前後左右を囲まれて現場に向かい、着いた頃明るくなるのが普通です。
常紋では服は一応ありましたが、場所によっては冬でも裸にふんどしだけ。 
そして日が沈んで道路の石ころが見えなくなる頃に仕事を終え帰る。
仕事はモッコ(=180kgのセメント樽)かつぎ(2人で)・トロッコ押し/乗り・スコップ使い・砂利洗い・土砂岩石掘り取りなど。
全てが手作業で、全く機械化されていないのが特徴です。

常に棒頭が木や鉄棒を固く握り、動作の遅いタコにはたちまち手を挙げ、怒鳴り散らし、躊躇する者には蹴飛ばし、不服そうにする者には容赦なく鞭や青竹・スコップで顔の造作が歪む程叩きのめし、凶器で威嚇され、鉄拳が乱れ飛ぶのであった。
(青森地方職業紹介事務局/1932年の調査記録より)
そうして動けなくなった・病気になった・亡くなった者は、墓なんかではなく、そこらの道端や線路の下に生き埋めにしました。
常紋の場合は、死にそうになっている者は握り飯1つ持たせて追い出しました。

金華駅00
しかし、留辺蘂の市街(約6km)に着く頃にはもう動けなくなっていました。
留辺蘂の交番(留辺蘂駅の近く)に薪が積んでありましたが、この薪を枕に亡くなったら巡査がタコ部屋の幹部を呼んで引き取らせたといいます。

[逃亡とリンチ]
タコ部屋から脱走した際には、常紋の現場では、2~3人が馬に乗りピストルを持って後を追ってきました。 
土地勘のない「他雇」は、必ず川沿いか線路沿い、道路沿いを逃走するので先回りし捕獲。
捕まった者は、他への見せしめとして火あぶりにしたり、身体の上に引き戸を乗せられ、その上から5~6人で飛び乗られたり、裸で木に括りつけて放置されました。
放置され一晩明けると、全身蚊やアブやブヨに食われ、紅く染まり絶命していた・・・ ということもあったそうです。
逃走する際、ヒグマに食われる者も少なくありませんでした。 


[仕事責め・食事責め・賃金責め]
前述のような暴力を受けたタコは労働力を低下させるが、下記の方法は警察にも発見されず、生産性が向上するとして「利潤があがるリンチ」として多くのタコ部屋で採用されていました。
「仕事責め」 1日でやりこなせない量の仕事を割り当ててしごく方法。
「食事責め」 1日でやりとげないと、食料を減らしたり与えない方法。
「賃金責め」 1日でやりこなせない仕事を与え、終わらないのを理由に賃金を歩引きする方法。
この「賃金責め」が最も巧妙とされ、過重な仕事をやらせて、賃金も減らせる方法で効果的な方法とされていました。
また、飯場(=現場事務所)で販売する草鞋や足袋、軍手などの品物にも暴利(世間一般の2~3倍の価格)をつけ販売していました。
飯場と現場を往復する以外、外に出られないタコにとって飯場以外に品物を入手する方法は無い。その弱みにつけこんでいました。
それでも「揚げ金(手元に金)」のあるタコには「強制貯金」として天引きし、貯金をさせていました。
そして、満期が近付くと、この貯金を捨てさせるために警戒を緩めてタコをわざと逃走させる方法も用いられていました。
こうすると、帰りの旅費と強制貯金を支払わずに済み、その金は親方の収益になりました。

ではなぜ、警察はこんなことを取り締まることができなかったのでしょうか。

[請願巡査]
それが、「請願巡査(1881~1938)」という制度でした。
この制度は巡査の費用はすべて請願者が前納し、請願者の利益保護のために設けられた制度でした。
つまり、タコ部屋労働の一番上の親方から給料をもらう巡査に、タコ部屋を取り締まることなどできるはずがありませんでした。

[募集という名の誘拐]
どうやって「他雇」は生まれるのか。 そこには東京や大阪の「周旋屋(人夫紹介業)」の存在がありました。
内地で募集されたタコの殆どが、「北海道には1日2円~3円(当時は1円が普通の時代)もらえて、楽な仕事がある」という甘い口車に乗せられ周旋屋に入った。それが最後。
2階の部屋に上げられると、梯子を外され拘束・監禁され北海道や樺太に受刑者護送と同じように送られていきました。
もう1つはポン引きが、都会の盛り場をうろついて、獲物を見つけると言葉巧みに近付き周旋屋に売りつけては謝礼をもらい、その金で暮らす浮浪者のケースでした。
いずれにしても、表向きは人夫紹介業ですが、実際は誘拐した人夫を拘束・監禁する場所でタコ部屋の始まりと言っても良い所でした。

[伝説や神話ではなかった人柱(ひとばしら)]
そんな歴史から、「心霊スポット」としては昔から有名だった常紋トンネル。
生き埋め・人柱はさすがに創作話ではないのかという意見も当時ありました。
しかし、実際に見つかったのです。
昭和45(1970)年、前年の十勝沖地震でひび割れが入ったトンネルの修理工事と待避所の改修をした際、壁を一部壊した時に壁の玉砂利から人の頭蓋骨が発見されました。
その頭蓋骨の右後頭部にはスコップで殴られたと思われる陥没痕があり、亡くなった後レンガの裏に押し込み、玉砂利を詰めて立たせたかのように・・・







金華信号場11
現在でも、金華信号場の近くの国道242号沿いに「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」があります。
金華小学校がかつてこの場所にありました。
手を合わせて行きたかったのですが、雪が80cmくらいあり、また坂も急で登れませんでした・・・
左上にちらっと見えているのがそうです。
分かりづらい所にありますが、信号場から少し離れた場所に沢井組が建てた歓和地蔵もあります。

北海道の鉄道は、ほぼこうした「タコ部屋労働」によって作られた「血管」です。
金華信号場13
(北海道4000kmと言われていた頃(1966年)の道内路線図 ※地図上にはバス路線が含まれています)
以前、「血管みたい」というコメントがありましたが、数多の血と汗と生命を犠牲に作られた。まさにその通りなのです。

金華信号場14
(2017年現在のJR北海道の路線図。 約2400kmとスカスカになりました。※青く細い線がバス路線 )
なのに「利益が出ないから廃止」という単純な考えでバス転換の協議に臨むから、「血管」の時代を知っている自治体とJRとが上手くいかないのです。
ちなみに、維持困難な線区を全て廃止すると、約1200kmまで減少します。

金華信号場10
瑞季:北海道の開拓を支えた鉄路。 100年で廃線になるのは悲しい話よね。
100年どころか既に廃止された路線(瀬棚線や相生線、深名線など)も多くあります。 

金華信号場15
今回の話は、小池喜孝(きこう)著:「常紋トンネル 北辺に斃れたタコ労働者の碑」から常紋トンネルに関する点を要約して作成しました。

相当重い話になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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No title

こんばんは。
常紋トンネルのタコ部屋労働、有名ですよね。

タコ部屋も、囚人の懲役も、これらがあって、北海道のインフラは作られているんですよね。

僕も、往時の国鉄時代の路線を覚えているので、
JRになってから、あっと言う間に、スカスカになってしまった路線図を見ると、寂しいかぎりです。

No title

こんにちわ~!
常紋トンネルとか囚人道路とか、北見方面にはこういった話が多いですよね。
たくさんの人の命で作られたのに、もういらないって捨てられるのって、なんだかなぁ・・・。
いろいろ、考えさせられますね。

哀しい過去話、だけどそれも一つの真実の歴史・・

廃駅というのはどこかしら写真からも「哀しい雰囲気」が伝わってくるものですね・・・
駅としては使用されなくなっても信号場として活躍の機会が与えられていることはどこか救われる思いがあったりもしますね。

だけどこうやって「忘れられた駅」でも冬音さんとか瑞季さんなどのようなドールの皆様方がこうやって忘れずに
「思い出してあげること」自体がたいへん尊い話であり、
それが駅舎供養にもなっているのかもしれないですね。

「タコ部屋」のお話はかなり切なくて痛々しいものがありますね。

東北にもそれに近い話はあったと思いますが、
そうした「開発」というものには、こうした奴隷労働とか女工哀史に近いものの存在は付き物だったといえるのかもしれないですし、
開発の光と影を示唆するようなお話なのだと思いました。

Re: 鳴らない携帯さん

> こんばんは。
> 常紋トンネルのタコ部屋労働、有名ですよね。
鳴らない携帯さん、コメントありがとうございます。
常紋トンネルは心霊話の方で有名ですが、タコ部屋労働の話でも有名ですね。

> タコ部屋も、囚人の懲役も、これらがあって、北海道のインフラは作られているんですよね。
道路・鉄道・河川改修工事など、インフラは強制労働で作られました。
そうした事を知ると、今運転している道路もかつて囚人労働で作った道路なんだと思えてきます。

> 僕も、往時の国鉄時代の路線を覚えているので、
> JRになってから、あっと言う間に、スカスカになってしまった路線図を見ると、寂しいかぎりです。
4割無くなりましたからね。 ここから半分減ると思うと・・・最悪、北海道の東側を走る列車は帯広止まりになります。
JRになる前に大分廃止さて、JRになってからは、深名線くらいでそれ以降しばらく駅の廃止はあれど路線の廃止はなかったのですがね・・・


Re: めろ子さん

> こんにちわ~!
めろ子さん、コメントありがとうございます。

> 常紋トンネルとか囚人道路とか、北見方面にはこういった話が多いですよね。
歴史の重い話が多いですね。釧路集治監網走分監・緋牛内の鎖塚とか、佐呂間町の栃木とか・・・
後世に伝わっている話もあり、忘れられた話はもっと多いでしょう。

> たくさんの人の命で作られたのに、もういらないって捨てられるのって、なんだかなぁ・・・。
> いろいろ、考えさせられますね。
利用者が少ないという数字だけで廃線にしようとするから自治体と上手くいかないんですよね。
1日3往復では日常生活で使えないですし。。。

Re: ぬくぬく先生さん

ぬくぬく先生さん、コメントありがとうございます。

> 廃駅というのはどこかしら写真からも「哀しい雰囲気」が伝わってくるものですね・・・
> 駅としては使用されなくなっても信号場として活躍の機会が与えられていることはどこか救われる思いがあったりもしますね。
今年3月の廃止駅では、美々、島ノ下、北豊津、姫川、上厚内と半分が信号場になりました。
後ろ3つは信号場から駅になったのに、再び信号場に格下げとなってしまいました。
信号場を見ても、私はなんだか「廃駅になったんだなあ」と思いはするがあまり写真を撮る気分にならないのが不思議です。
「駅舎」ではなく「ただの建物」にしか映らなくて・・・
勿論、信号場としてでも残ってくれるのは嬉しいことなのですが。

> だけどこうやって「忘れられた駅」でも冬音さんとか瑞季さんなどのようなドールの皆様方がこうやって忘れずに
> 「思い出してあげること」自体がたいへん尊い話であり、
> それが駅舎供養にもなっているのかもしれないですね。
たった1年前に廃駅になったばかりなんですがねえ~
それでも撮影した日には車で駅を周っている方と遭遇しました。
供養というよりは、「訪問してほしい」という気持ちで記事を作っています。

> 「タコ部屋」のお話はかなり切なくて痛々しいものがありますね。
> 東北にもそれに近い話はあったと思いますが、
> そうした「開発」というものには、こうした奴隷労働とか女工哀史に近いものの存在は付き物だったといえるのかもしれないですし、
> 開発の光と影を示唆するようなお話なのだと思いました。
もちろん、北海道に限った話ではありません。 東北でも同様のタコ部屋労働はありました。(詳しくはないですが)
今でも、「貧困ビジネス」と名前を変えて賃金責めなどは、続けられています。
時代が変わっても、「ブラック企業」など目に見えなくなっただけではないかと思わずにはいられません。

No title

こんばんは。

北海道だと小学校の高学年くらいの授業で、こういうの教わりますよね…
とはいえ、トンネルの傍らに時々見かける石碑の内容と、結びつけて考えるところまでは行きませんでしたが。
単なる工事中の事故ばかりではなかったんでしょうね…

冬音さんのおっしゃる通り、時代が変わっても同じような事をやっている部分はあると思います。
最近は日本のいい所を探して褒め称えるような風潮が強いですが、良くない面からも目をそむけずに、しっかり向き合って行きたいものです。

感謝。

こんにちは。
貴重なお話をありがとうございます。
開発の歴史には弱者を犠牲にした為政が多くありましたが、地元の歴史など細かな所まではなかなか知ることができません。
これからも色々と教えていただけると有難いです!

No title

こんにちは~

でてきましたね、胸の苦しくなる裏表なしの史実。
覚悟をしていましたが、100年て…最近の事ですね。
北国の鉄道の方々(ほうぼう)で行われてきた強制労働。
まだ今も掘り起こされず、誰にも知られず眠る人骨がたくさんあるのかもしれないですね。
ご冥福をお祈りいたします・・・。
私達が、この冬音さんのブログを通して、しっかりと胸で受け止めました。
お疲れさまでした、そしてありがとうございました。

瑞季さんの桃色の艶やかなお着物で、見送ってあげたのですね。
・・・ありがとう。

Re: tokuburaさん

> こんばんは。
tokuburaさん、コメントありがとうございます。

> 北海道だと小学校の高学年くらいの授業で、こういうの教わりますよね…
> とはいえ、トンネルの傍らに時々見かける石碑の内容と、結びつけて考えるところまでは行きませんでしたが。
> 単なる工事中の事故ばかりではなかったんでしょうね…
室蘭の方では小学校の副教材で教えると書籍にありましたが、今では北海道のどこでも教えていますよね。
石碑なども車で運転しているとほとんど気づくこと無く通過してしまいますよね。
工事中の事故もあれば、リンチの果てに亡くなったケースもあるでしょう。

> 冬音さんのおっしゃる通り、時代が変わっても同じような事をやっている部分はあると思います。
> 最近は日本のいい所を探して褒め称えるような風潮が強いですが、良くない面からも目をそむけずに、しっかり向き合って行きたいものです。
あまりTVは観ないですが最近はそうした番組が多いですね。 町史や村史から読み解くのは難しいですが、できるだけ伝えていきたいなあと思っています。ドールブログの視点からお送りしている「北海道の駅」シリーズ。 今後ともよろしくお願いします。
 

Re: yokoblueplanetさん

> こんにちは。
yokoblueplanetさん、コメントありがとうございます。

> 貴重なお話をありがとうございます。
昔の本を引っ張り出すのに、図書館は便利です。 
全部目を通して、必要な所に付箋をつけて、適度に分かりやすく変えて。。。 
今では当事者もお亡くなりになってしまい、昔のことはもう分からなくなってしまいました。書籍だけが頼りです。

> 開発の歴史には弱者を犠牲にした為政が多くありましたが、地元の歴史など細かな所まではなかなか知ることができません。
> これからも色々と教えていただけると有難いです!
昔のこと、自分の住んでいる街の近くならまだ図書館で調べやすいですが、遠いところとなると難しいです。
これからもストック写真を中心にまったりと作っていく予定ですので楽しみにしていてください。

Re: ユアン131さん

> こんにちは~
ユアン131さん、コメントありがとうございます。

> でてきましたね、胸の苦しくなる裏表なしの史実。
> 覚悟をしていましたが、100年て…最近の事ですね。
100年前から60年くらい前までの話です。
蝦夷から北海道になって今年で150年なので、最近でもないような気もします。

> 北国の鉄道の方々(ほうぼう)で行われてきた強制労働。
> まだ今も掘り起こされず、誰にも知られず眠る人骨がたくさんあるのかもしれないですね。
> ご冥福をお祈りいたします・・・。
常紋の場合は、トンネルや線路沿いを掘り起こして供養したのですが、他の所はどうでしょう。
見つからずにそのまま。。。 というのはあるでしょう。

> 私達が、この冬音さんのブログを通して、しっかりと胸で受け止めました。
> お疲れさまでした、そしてありがとうございました。
北海道の国道や鉄道の裏にこうした強制労働があったということを知って、大事な物なんだなと思って頂けると作ったかいがあります。


> 瑞季さんの桃色の艶やかなお着物で、見送ってあげたのですね。
> ・・・ありがとう。
駅としては廃止され、信号場になりましたがまだまだ活躍しています。
路線が廃止されるまでは、金華信号場が元気な姿を見せてくれると信じたいです。 
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